@Osaka Endosky Journal

焼いて粉にして屁で飛ばせ

スポーツと毒親

スポーツと毒親

bylines.news.yahoo.co.jp


小学2年生から始めたホッケーは、ジュニアチームとしては来年が最後の年。岳にホッケーをさせたのはボクで、あれから、毎週リンクへ通う生活を続けてる。
元は自分のやっていた競技の楽しさをなんとか伝えたいという気持ち一心で連れていく。残念ながら岳はスケートに難があり、肥満だったので練習についていけてなかった。岳も楽しいとは思えているようでも、それほどのめり込むわけでもなく、ボクがただただ、焦るのみ。インラインで自主練をしてみたり、ハンドリングをしてみたりと親子練習をしてみた。
アイスホッケーは日本ではマイナースポーツで、他競技のような大きさの実業団リーグでの受皿もない。逆にそれが良かった。プロになるわけでないけれど、だからこそ、「好き」で続ける人間の多い純粋に楽しめる環境がある。そして、チームメイトとしてプレーした人間関係は、その後の人生の中でずっと続く宝となる。だからこそ、今プレーするチームにどう貢献できるかということを、いろんな角度から伝えてきたつもり。
小学4年、5年にはまったく周囲に付いていける感のなかった岳が、6年生になった新チームが始動したころに変化があった。スケートが安定しはじめて、パックをキープできるようになってきた。このタイミングしかないと思った自分が、今までまったく箸にも棒にもかからなかった「大阪選抜を狙おう」と、一緒に走り始めた。とにかく、重い体重を少しでも平坦にして、体力を向上させたかった。
ある意味では、ここがボクの「毒親」だったと思う。
ずっと、レギュラーの練習のみ参加で、外部のスクールやビジターなど行かせたことなかったが、初めてビジターにのせてみる。付いていけるわけないが、それよりも、精神的にビジターでプレーすることに慣れて欲しかった。ビジターは数回のみだけれども、大人とプレーすることで気持ちの余裕ができてきた。週3度の5㎞のジョグも、最後は確実にペースを上げて走れるようになっていた。
小学生最後の選抜セレクションで、最初に名前を呼ばれた時に、帰りの車ではしゃぐ岳に、一番ホッとしたのはボクだった。
中学にあがってからは、確実に成長があった。ただ、自身が上手くプレーできることに満足するのではなく、自分のプレーからチームに変化を産むようなプレーや、声かけ、態度が大事と常に意識するように声を掛けてきたつもり。
結果として、岳が競技を好きになり、練習のある日は家で自分の準備ができると僕に声を掛けるようになっている。ビジターも自分のプレーの向上にこだわった意識を持つようになった。そして、なにより、自分のチームのチームメイト、下の学年から、OBまで一緒にプレーできることを本当に楽しんでる。ビジター参加もOBたちとのプレーを楽しみたいと思ってが大きな理由。
あの一年の「毒親」期間を、子どもに助けられたと本当に思うわけで、毒に負けなかった岳には感謝の気持ちしかない。
妻はボクの「毒」をわかっていて、あえて、男たちのホッケーには全く触らず生活のところで乱れることのないように、「解毒」の声を掛け続けてくれる。そして、今もそのまま、ホッケーには触らずにいてくれてる。
僕はこの競技に魅入られて、そのチームメイトに助けられ、そして、次の世代にその遺産を渡したいと思っての親子プレーヤーだが、その経過で「毒親」になる瞬間が必ずあることを本当に感じた。そして、それは本当に避けるのがむつかしいということも。
中2のシーズン真っ只中、ボクの手を離れつつある岳のプレーを見ながら、彼らが次のホッケーシンジケートを繋いでくれればいいと思う。ボクは岳の下の世代の子どもたちに、どうしても出てくる、「もっとできる期待の毒」にやられてしまわないように、声を掛け続けるのが趣味のようなものになるんだろう。
「毒親」避けることのないものと思うからこそ、ジュニアチーム、学校のクラブの運営においてのガイドラインは必要と思う。少しずつでもいいので、次の世代に繫がる施策をと本当におもう。