@Osaka Endosky Journal

焼いて粉にして屁で飛ばせ

三者面談とスポーツの価値

 三者懇談を前にして、岳とクルマの中で話す。
 父さんが来るんかと聞かれて、母さんというとホッとした顔してる。で、高校でホッケーしたいんかと聞くと「ウン」と言う。
 突っ込んだ話しをしたけれども、ホッケーが上手いということ自体には全く価値はないぞと先ず伝える。あくまで、ホッケーは「大いなる遊び」であるという前提。
 ホッケーに関わらず、競技のレベルが人より優れている事自体には価値はないよと。本当に価値があるのは、自分のプレーによって周囲に影響を与えることなんやぞとコンコンと伝える。
 どんな環境でもホッケーはできるし、その中で自分のプレーによって、自分の近いところから、さらにレベルが上がればもっと大きな輪に影響を与えることができるんやぞと。競技レベルが上がれば見える風景もおのずと拡がる。より広いところで活躍すれば、より大きな影響を及ぼすことができる。だから、オリンピックに価値があると思うわけでしょと。
 先ずは、自分のチームの中でチームメイトにどんな影響を与えているかを考えたことあるかと投げかけてみる。上級生にどんなプレーを見せてる?ビギナーのチームメイトにどんな声かけてる?小学生たちにどんな声を掛けてる?影響ってのはプレーだけじゃないぞとも。伝えること、鼓舞すること、ベンチの中の会話や姿勢考えたことあるかとか。
 進路はどんなカタチであれ、ホッケーしたいなら、その環境でできる方向を探すし、ホッケー続けられるようにちゃんと考えるから、本来の中学生として、ちゃんと勉強して、進路を見据えたらええよと伝えたわけです。ホッケーを絶対に柱にする必要はないよって。
 まあ、わかったようなわからんような、そんなん、今決めれるわけないしってわけですが、まあ、とりあえず、親はそんな感じでホッケーを見てるというのがわかればいいかと思ったわけです。
 そして、大いなる遊びであるからこそ、超真剣に取り組むのが人生の一番オモシロイとこやぞと。国を超えて「ホッケーおバカさん」がやって来て、その環に入ってプレーするのが、チョ~オモシロイことやねんぞと、最後にくくって、関大と慶応の試合を見に行って、そっから練習に出直すという、結局ホッケーオバカさんの週末でした。