@Osaka Endosky Journal

焼いて粉にして屁で飛ばせ

蔭山先生と橋本市長

 先週末からお二人のツイッターでのやり取りに目が離せない。僕の中で、橋本市長に対して引っかかりのある部分は、蔭山先生が文章化していると思う。それに対して、橋下市長がコメントをするという流れなんだけれども、ある意味、僕の中ではスッキリするものがあった。
 蔭山先生は、公として大阪府の教育に関わるものとしての立場を崩さないように仕事をされている。そこの不自由さはあるものの、誤解や、不公平感を産まないように配慮がある。もちろん、ベストではないけれども、現状の枠のなかでできる最大の対策をしようという部分が見える。橋下知事の場合、伝えるという手段を、ある意味武器として、週刊誌であったり、ツイッターというツールで縦横無尽に打ちまくる。枠を超えて現状を打破しようという姿勢なのが、まさに維新という名前そのものだと思う。

 ただ、蔭山先生はその撃ちまくる姿勢に“敬意”があるのかというところに違和感を感じているのではないかと思う。

 市長の弁護士としてのちからのある攻撃力はまさに、大阪の市民の意を得たりという支持を得たけれども、市民感覚というコトバとともに、罵倒を含めたツイッターでの発言、週刊誌での個人的な批判が、感性として受け入れられないという部分を先生は言っているのではないかと思う。

 橋下市長のあくまで議論は議論、もしくは公にいる人間として批判は当然として受けるべきである。蔭山先生には大変よくやってもらっていますと言うコトバが、”本当”に個人を尊重できているのかという疑念とともにツイッターの文章の端々に出ている。


 市長の変えるという姿勢に多くの支持があることは、投票での結果そのものであると思う。ただ、先人が現状の枠でやってきた努力さえも無にして、新たに作る枠組みが、自身は否定しながらも、「家庭教育支援条例案」(原案)だったりするんじゃあ、削るのは市長主導で結構ですが、再構築は別のブレーンでというのが、ぼくの感覚。

 弁護士の技術として、大きく踏み込んで譲歩をとるという姿勢を地方政治に持ち込んだのは画期的だと思いますが、結果、自ら請うた人物に不信を生むという副作用もあるんだと思うわけです。