@Osaka Endosky Journal

焼いて粉にして屁で飛ばせ

劇団四季、橋下市長、石原慎太郎、沢木耕太郎

先日の橋下市長の、劇団四季を観劇したあとの文楽批判を見て何かあったなあと考えていると思い出した。

 馬車は走る 沢木耕太郎 『シジフォスの40日』だ。

馬車は走る (文春文庫)

ちょいと読み返して見た。

 石原慎太郎氏の、美濃部知事選を追ったノンフィクション作品。この時の選挙参謀に劇団四季代表の浅利慶太氏がついて、選挙戦を戦っている。

 この中で、沢木氏は浅利氏の選挙応援の理由を、表向きの友情を踏まえた上で、文俳民(文学座 俳優座 民芸)への左翼劇団への援助が行われているのに、四季はことごとく無視されたこと、かつ、昭和60年代に自分たちの世代が闘っておくことが必要だったという認識があったのではないかと推察している。

 そういう意味において、橋下市長の意図とは違う意味で、文楽は完全に劇団四季の立場へ一気に登りつめているのかもしれない。

 イデオロギーの対立がわかりやすい選挙ではあるのだが、石原陣営は、この選挙の論点をなんとか世代間の闘争へと向けたいという方向性を出し、42歳の慎太郎氏は演説でこんなことを言っている。

 『もう新旧交替の時期じゃありませんか、美濃部さんのように前頭葉の退化した60、70の老人に政治を任せる時代は終わったんじゃないですか』

 おもしろい。今読み返してこれぞ、ノンフィクションの醍醐味と感じる。選挙の結果を左右するクサビとしてどうしても必要だったのが、河野洋平氏だったというのが歴史のおもしろいところだ。

 河野洋平を世代の代表としてイメージ戦略の柱にしたかったのに、現在はイデオロギーの代表として、河野洋平を否定しなくてはならないという皮肉。

  全編読んで、ふと思った。今からある選挙の鍵は衆議院議員の河野親子が握っていると。

  これから行われる選挙。橋下維新の会は、河野太郎氏を原発問題の軸に引き込めたら勝算あると考えられる。河野洋平を引き入れられず、都知事になれなかった石原氏の経験は、橋下市長へとバトンを渡される。

  橋下市長は世代間の闘争ではなく、イデオロギー対プラティカルに収斂させたいのでは。その点で、たちあがれとは絶対に手をつなげない。

 しかしながら、脱原発を前面に出せばプラクティカルにはならない。ならば、国会議員としてプラティカルに政策を批判している河野氏を、政策連携として引き入れて現実感を出す必要がある。

 そして、自分たちの背中で80代の老人たちは、河野洋平を否定していくことで存在意義を確立していく。

 

 

 

日曜の午前中だから読んだ、与太話。自分たちは、日々の運営をただただ、考えるだけでありんす。