@Osaka Endosky Journal

焼いて粉にして屁で飛ばせ

父親ってのは…

 とっとと死んじまった自分の父親のことを、実はぼくはなにも知らない。ぼくの母は、昭和の実に賢い母の役をやってきたので、父の本当のいい加減で、ハチャメチャなところは表にはださない。

 母の父、ぼくの長崎の明治生まれのじいさんは島原の農家の長男だったそうだ。長男が家督を継ぐように育てられたけど、勉強したいし、外の世界を見たい一身で家を飛び出し、長崎港で人夫をしてたらしい。その人夫の親方が、おばあちゃんの父さん。曾祖父さんってことになる。

 ぼくの父は、3歳になる前には父も母も亡くなり、親族に預けられ育てられている。山梨県の超過疎地で育つ。長崎の祖父と同じく、家を飛び出し長崎に行き付き母と結婚する。そんな、流れものながら、結婚できたのも祖父が同じような血を感じたからに違いない。

 

 幼稚園の年長で、父の勤務で広島に来てから、しばらくすると父の仕事が忙しくなる。広島だけではなく、全国を飛び回ることになり、家にいる時間はほとんどない。家族旅行なんか記憶にない。父と過ごしたという時間の記憶があまりない。それでも、父のことは好きだったし、父のにおいの記憶が今もずっとある。

 

 結局、就職してしばらくして、すぐに病気で伏せ、数年後には死んでしまった。

 

 ときどき、いまでもその喪失感がカラダに降りてくる感じがある。ほんとうは、どんな人間だったんだろう。

 ただ、実は一番わかることは、父が死んだという事実があるから思うんだということ。死ななければ、きっとなにも思わず、今も父親と接していたんだと思う。死がなければ、自分が父親になる覚悟のようなものも芽生えなかったと確信がある。

 

 父親とは死を持ってはじめて、バトンを渡すものじゃないかと、いまでも強く思う。

 

 ぼくは、いつバトンを渡すのだろうか。できるだけ早く渡してやらないといけないんじゃないか。そんなことが、頭の中でグルグルと回るお盆を前にしたこの週。ただ、バトンを渡せるだけの、生き抜く最低限のチカラはつけてやらねばとも。

 

 いったい、ぼくは何にとらわれてるんだろう。