@Osaka Endosky Journal

焼いて粉にして屁で飛ばせ

昭和の名勝負

 久しぶりに、昭和の野球シリーズ。おじちゃん(今はジージと呼んでますが)から聞いた、名勝負シリーズ。


 さて、小学校から野球漬けのジージは、ぼくのじいちゃんの強い指導もあり、佐賀県の進学校に入学。野球部強いわけではないけども、もちろん野球しに行ってるわけです。それでもピッチャーで4番だったジージが引っ張って、九州大会で柳川商業高校とあたる。


 そのときの柳川商業エースが 権藤 正利


 卒業と同時に大洋に入団。その年の新人王となるピッチャーだけども、とにかく高校のときからカーブがすごかった。


 ジージいわく、絶対に当たると思うところから、ボールが直角に落ちてくる感じらしい。(笑いながら言うけど、ほんとうに降ってくる感じだそうな)



 試合は伯仲。しかし、ジージも負けじ。ストレートとスライダーで三振の山を築く。ジージの自画自賛では、ストレートと思って踏み込んでくると、カラダにあてるバッターが続出だったとか。(この辺は割り引いて)


 得点のないまま延長11回。


 最後はジージが打たれて負け。もう握力がなかったと言ってた。このときのカリは絶対返すと誓ったそうな。



権藤の縦に割れるカーブはものすごく、キャッチャーの土井淳が「キリキリキリと音を立てるように直角に落ちるんだ。」と証言している。当時は「懸河のドロップ」の名でファンに親しまれており、カーブの名手金田正一もバッターボックスに立って(金田自身打者としても一流であった。)権藤のカーブには手を焼き、一目置いていた。

上記WIKIより


 あのドロップの金田選手からも一目おかれてたのがわかる。



 高校生同士で、その試合をしていたわけで、このあと二人がプロでまた対戦することになる。実にワクワクするおはなし。



 当時の九州は、炭鉱町が支えていたので、高校野球の応援は鉱夫があつまり、それはそれは、激しいもんだったらしい。それもまた歴史の一部なんでしょう。